鑑賞用記録、ミッドナイトインパリ

2019/1/25    ミッドナイトインパリ

ウディアレン/主演キャシーベイツ

浅薄ながらも知ってる文化人達の羅列にちょっとテンションが上がる笑

軽くて楽しく観れてメッセージがはっきり伝わってくる。確かに僕らから見たら最高の時代だなって思わずにはいられない世代で凄く楽しく共感できるし、この時代でなくとも同時代に生きてその熱を感じたいと思ったことは誰しも少なからずあると思うからとても共感できると思う。

出てくる役者のそれぞれがとても個性的でいささかデフォルメされているように感じるけどとても自然で魅力的だった。

既知の人物は自分の中に知識に基づいた端的なイメージがあって、そのイメージをなぞることが出来ればむしろ多少の誇張こそ納得させられてしまうんだなって感じた。

僕たちは月を見ない

北とぴあ演劇祭演目「僕たちは月を見ない」昨日公演しました!

席数30席も増設して、本当にたくさんの方に来場頂き感謝感激雨あられです。

アンケートもほとんどの方に書いて頂き本当に励みになりました。

ここでの稽古や本番で僕は確実にレベルアップしました。

こんなん言うたら来て下さった方に失礼ですが、未熟過ぎて力不足を痛感し続けています。本番前4日間は熱出るわ体中痛いわ毎晩鼻血で目覚める位には悩みました笑。本当に正直なところ、本番も納得できない部分は多く、悔しい思いも強くあります。

でも、これは必ず自分の糧になる自信があります。発見や成長がこんなにも目に見えてある経験は初めてです。

最高のヒロインをはじめとする素敵な役者陣、意見を形にしてくれる脚本家、親身にサポートしてくださる製作陣営、これ以上ない指導をしてくださる先生、皆を引っ張る演出、こんなに手厚い環境で演技漬けの日々を送れた僕は本当に幸せです。

役者として力をつける。本当の意味でその一歩を踏み出せた日でした。(器のデカイ人間になります!)

来て下さった方をはじめとし、この公演に関わった全ての方々、本当にありがとうございました。

演技メモ

イデアの表出

認識、感情から何かを出そうとする不可

行動とは無意識下の表出

例)靴下を見る、取ろう、回そう  不可

     靴下を見る、取る、回す

イネ科の植物摘んで穂を落とす→やる意識はあるが、無意識下での行動

オオバコ相撲勝つために頭で考えながら筋を探るが、考える行為は意識から出てくるものではない

ゆとり

1番早い言語は何かっていう記事がツイッターで回って来た。音節速度はスペインを抑えて日本が堂々の一位に輝いた笑

しかし情報密度はベトナムの半分を割った49%と、早口で中身のない会話だという。

あたかも日本語が中身のない薄っぺらい言葉だと感じる人も多かったようだ。言語として劣っていると。リプライでは日本語の音節の多さや、モダリティ、軸を離れた話が多いっていう観点から批判的な意見が飛び交っていた。

まぁ早口で喋る人多いなとは思う。僕はろれつも頭も回らんからあんまついていけないことも多々ある。若い人らはそうやって言うし俺もさっきまで思っとったけど、小津作品も笠智衆東山千栄子以外割と早口な気がする。

早口で喋るんは音節が多いとかもある気がするけど、たくさんのことをいっぺんに話そうとする人が多いからな気がする。話に無駄が多いのだ。

話に無駄が多いって言うけど、なんて素晴らしいんやろうと思う。僕らは無駄なこと、人生に不必要なものを人に届けたいって思ってるし、その不必要は生産性、意義から見たら不必要だけれど、人生を彩っていくもんやし。無駄なことっていうけどそれは余白や空間ってもんで、それによって僕らの豊かさってもんが出来てるんやと思う。(お金で例えると分かりやすいかな?でもお金に限らず普遍的なものだと思う)

無駄と余白って同じって言っていいと思うし、余白ってゆとりだと思う。心のゆとりってつまり安らぎだしそんなんを与えれる人間になれたらなって思う。

やっぱ日本はそういうとこがいいと思う。体に流れる感覚、自文化の美意識?美徳?の中でも特に好きだし、高校からずっと自分の中で大事やなって思ってるとこ。

ところで日本語が美しいってやつでブタゴリラとウンコチンチンの考察の記事を書いていたんだけどどんどん熱が入ってきて、自分でも思わぬ方向に向かって、2つの言葉の美しさに論点がいってあまりにも長編になってしまって、、、章で分けようかとか考えるけど、、、やっぱお蔵入りかな笑

ないものねだり

僕は今読んでる本もそうだが、今までの人生で巡り会えるはずの知識だけど自分にはない知識を持っている人を見ると羨望してしまう。なんでちゃんと勉強しなかったんだろうって、食指を伸ばさなかったんだろうって思う。

例えば日文を専攻してた俳優の本を読んでて博識で、その広い知見の中から僕みたいな人間にも面白く思わせる話を混ぜてくる(正岡子規中原中也なんかの)。冗談も品があって言葉が本当に綺麗だなって思う。

日本の文人なんかは学校に通ってた時どれほどの読む機会を見逃しただろうか。長いこと学んだ英語がどれだけ実用できるか。

まぁ僕もその分ベースやったり仏教を齧ってたり、人より知ってることってたくさんあるはずなんですよ。生きてる時間何に興味をもって学んだかって人それぞれだから、知ってることも活用の仕方もそれぞれだしそもそも知識なんて活用しないままのものもたくさんある。

まぁそれでいいって分かっちゃいるんだけど、羨んだり劣等感を抱いたりしちゃうんだよなぁ。人間だもの。みつお

いいもんになりたい

新しいものが過去のものを超えていないって、昔のにまだ勝てないって言い方になんか違和感がある。

前からあっていいもんはいいもんで、だから残ってる。新しいものが踏襲した上に肉付けしてもいいものはいいものだし他が出てきて相対的に悪くなるわけじゃない。だっていいものだもん。

後の世になればなるほど物事は踏襲され人々の教養の中に組み込まれていき当たり前の手法になったりするんだけど、その手段や表現がミソじゃない。いいもんはいいもんだ。どんなやったって芯を掴んでんだ。

だからいいもんになりたいな。