美の考察

美しいもの

僕たちの認識のもとで成り立つもので個人的でどこまでも内向的な営み

外部からの刺激を受容して脳がそれを快として認識すること

その刺激源が発するシグナル

自体を受容して自身の内に生まれるもの、心の動き、(感)を削ぎ落として受信するとそこに何の意味もない運動に過ぎない

ダンスや音楽、絵画は鑑賞するものに感動を与えるがその一投足で見ると、振動一つで見ると、絵具一つで見ると理解不能で滑稽さに眩暈を覚える

個の表象の総体を見て一連の流れに意味を内的に勝手に与え、美や感を得る

しかしそれは精神の誤認である。流れとは丁度星座のように自意識が勝手に作り上げた観念的な姿である

個の総体として現れる流れによって意味が与えられるというより、各個が点在しそこに関係性を認識することで美を外環から浮き彫りにして具象化する。その関係性の認識が流れであり、

それは錯覚なのだが

動作、また美としてそこに佇むもの、発せられる刺激はそのものが美ではなく、自身の内的(感)を型抜くツールであり、美とは自身の内で作り出す(感)のあり方である

つまり美は各個人の能力に依拠する